盛岡市名須川町。衆宝山。岩手教区№三。天正年間(一五七三—一五九二)良心故関により開創され、三世良応一白が中興した。故関が郷里の出羽村山郡にあった当寺を現在地に移したのに始まる。寛文三年(一六六三)南部(盛岡)藩主南部重直の母源秀院殿(蒲生氏郷の養女)が江戸で死去し、遺骸を当寺に埋葬し菩提所とした。そのため寺領一五〇石が贈られた。
【資料】『浄土宗寺院由緒書』中(『増上寺史料集』六)
【執筆者:𠮷水成正】