極楽に往生しても罪の多少に応じて華開の遅速があるため、すぐには阿弥陀仏にまみえることができないこと。下品の中下生の者が念仏の功徳により八十億劫の生死の罪を除いて極楽往生を全うする際に、除かねばならない微細の罪として「往生の障」「発心の障」と並んで挙げられる三重の障の一つ。良忠『伝通記』散善義記三において「劫を経てこれを償う」(浄全二・四三二下)と説かれ、聖冏『浄土述聞口決鈔』上、ならびに忍澂『善導大師別伝纂註』上にも見られる。
【参照項目】➡往生、発心の障
【執筆者:渋谷康悦】