教導職
提供: 新纂浄土宗大辞典
2018年3月30日 (金) 06:22時点における192.168.11.48 (トーク)による版
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きょうどうしょく/教導職
三条の教則に基づく民衆教化政策の担い手となるべく、明治五年(一八七二)四月の太政官第一三二号達によって設けられた役職。主に神官・僧侶が任じられた。一級の大教正から一四級の権訓導までに分けられ、六級以上は太政官が直接任命し、七級以下は上級教導職の推挙を得た上で神道・仏教各宗管長から試補に任じられ、その後大教院での試験を受けて等級を決定し、補任された。三条の教則や十一兼題、十七兼題の説教などが出題されたが、神道側に比して僧侶の補任はあまり進まなかったといわれている。同一五年に神官と教導職が分離され、同一七年に廃止された。
【参考】谷川穣『明治前期の教育・教化・仏教』(思文閣出版、二〇〇八)、小川原正道『大教院の研究—明治初期宗教行政の展開と挫折』(慶応義塾大学出版会、二〇〇四)
【執筆者:小川原正道】