生没年不明。天台宗の学僧。『七箇条制誡』に一六九人目に署名していることから法然と同時代の僧であることが分かる。『玉葉』でも彼の名がしばしば見られ、九条兼実との親交が確認できる。『九巻伝』七上には、蓮生れんしょう(宇都宮弥三郎頼綱)が法然の滅後、誰に疑問を問えばよいかと質問したとき、法然は善恵房証空を推挙するが「浄土宗の学者も余学を知ざるはいふかひなき事」(法伝全四三六上)として、まず聖徳太子の御墓の側に住む天台宗の願蓮に師事して学問するように勧めている。『天台法華相承譜』にもその名をみる。
【参考】森英純『白木の聖者』(西山専門学校、一九四八)
【執筆者:南宏信】