往生寺
提供: 新纂浄土宗大辞典
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おうじょうじ/往生寺
一
宮城県栗原市栗駒菱沼竹林。石垣箱根山。宮城教区№五三。承元三年(一二〇九)金光の開山。寛文五年(一六六五)二月火災に遭うも、延宝二年(一六七四)下野国大沢山円通寺の南的が再興したと伝えられる。また当寺に伝わる真似牛伝説から、真似牛寺とも呼ばれる。金光が当地を訪れた際、牛に変じてしまった農夫を元に戻すために、法然自刻の像を金光が京都から当寺に持ち帰ったという。この自刻の法然像は、現在宮城県加美郡色麻町王城寺にある曹洞宗往生寺に安置されており、県重要文化財に指定されている。
【参考】『生きる法灯こころに金光を』(浄土宗宮城教区、一九八七)、『栗駒物語』(栗駒町史談会、一九七四)
【執筆者:東海林良昌】
二
長野市往生地。安楽山菩提心院。別名に苅萱堂。長野教区№四七。善光寺近く戌亥(北西)の方角の山の中腹に位置し、謡曲や説経節の題材である「刈萱」(苅萱とも)道心と石童丸親子の物語で知られる古刹。開基は苅萱道心とされ、道心往生の寺であることから往生寺という。寺伝によると開基は道心入寂の建保二年(一二一四)。『苅萱道心石童丸御親子御絵伝』二幅を用いた絵解きを伝承、その口演録は苅萱伝説や関係諸作品の研究に不可欠な資料とされる。島崎藤村の作品にも登場し、とくに『破戒』第四章には主人公の回想として「往生寺の山の上に登って、苅萱の墓の畔に立ち」とある。
【資料】『蓮門精舎旧詞』二五(続浄一八)
【参考】林雅彦・徳田和夫編『絵解き台本集』(『伝承文学資料集』一一、三弥井書店、一九八三)
【参照項目】➡苅萱道心
【執筆者:袖山榮輝】