一三世紀初め頃、生没年不明。三祖良忠の天台・俱舎の師とされる。『糅鈔にゅうしょう』および『総系譜』上には、出家した良忠がこの円信と信暹しんせんの二師に師事したことが記される。円信は学識豊かな人物であり、山門においては宝地房・竹林房の両流を兼ね、寺門においては北山龍淵房の流れを汲んでいる。『糅鈔』では良忠が「幼くしては寺門北山の龍淵房に住し」(浄全三・五五上)ていたとされるが、これは円信の学系を語るものであり、円信は信暹と同じく鰐淵寺に住していたと考えられる。
【資料】聖冏『糅鈔』一(浄全三)
【参考】大島泰信『浄土宗史』(浄全二〇)
【執筆者:沼倉雄人】