明治二年(一八六九)—大正一〇年(一九二一)。明治三一年(一八九八)八月の「開教区規則」の制定により、ハワイが第四開教区に指定されたことに伴い、開教使となる。翌年二月にハワイに渡り田中摩訶衍と共にラウパホエホエ教会を設立。その後、教線の拡張に尽力し、日本語を教え、また、ホツヒナ監獄署で教晦活動をする。帰国後、軍艦榛名はるな、金剛に乗船し布教にあたった。
【資料】柴田玄鳳編『浄土宗開教要覧』(浄土宗務所教学部、一九二九)、大橋俊雄『浄土宗人名事典』(斎々坊、二〇〇一)
【執筆者:田中芳道】