法然の弟子、源智の流れを汲む門流のこと。源智が紫野に住したことからその名がある。文永年間(一二六四—一二七五)、源智の弟子信慧と聖光の弟子良忠とが東山赤築地あかつじにおいて四八日間、それぞれの師の考えを校合した結果違うところがなかったため紫野門徒は鎮西流に合流することになった(『鎮流祖伝』『九巻伝』等)。『法水分流記』でも信慧の弟子道意が良忠の弟子として位置付けられている。以後その拠点であった知恩寺は鎮西流に属することになった。
【参考】野村恒道・福田行慈編『法然教団系譜選』(青史出版、二〇〇四)
【参照項目】➡信慧、赤築地
【執筆者:伊藤真昭】