大徳寺
提供: 新纂浄土宗大辞典
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だいとくじ/大徳寺
滋賀県甲賀市水口町本町。家松山清浄慶院。滋賀教区№二四五。元は禅宗で林慶寺と称した。天正一六年(一五八八)、水口岡山城主中村一氏が、水口城の西、赤堀の二町四方の新地に一寺を建立し、中村家菩提寺と定め、相模国小田原大蓮寺から叡誉春頭を招請し、浄土宗に改めて浄慶寺とした。その後、叡誉が徳川家康の家臣本多忠勝の伯父に当たることから、関ヶ原合戦の後、家康が当寺に参詣し、寺領二九石を寄進し、山号を、家康の家と松平の松をとって家松山と命名した。家康が、二世岌(笈)誉牛鉄の時にも立ち寄り、ここを宿所とし、大徳寺の寺号を与えた触頭寺院。元禄二年(一六八九)と宝暦八年(一七五八)に火災に遭い、伝来の古文書・古記録を失い、同一三年に至って再建築した。昭和五六年(一九八一)にも火災に見舞われたが平成二年(一九九〇)に再建。
【資料】『蓮門精舎旧詞』二三(続浄一八)、『浄土宗寺院由緒書』下(『増上寺史料集』七)
【参考】『甲賀郡志』下(名著出版、一九七一)、『水口町志』下(水口町志編纂委員会、一九五九)、『近江国水口大徳寺文書目録』(水口町立歴史民俗資料館、一九九三)、平元弥寿蔵『大徳寺縁起』(私家版、一九七〇)、服部賢好『師父を偲んで』(同、一九八三)
【執筆者:曽田俊弘】