生因は結果を生ぜしめる原因であり、業成は業事成弁(なしとげようとした行為が完成すること)のこと。浄土宗義においては極楽に生まれる原因とその往生が決定し成就するという意味。生因と業成については法然門下における一念多念の論争の一つとなり、特に三祖良忠門下において、良暁は「業成の前後は機に随って不定」(『浄土述聞鈔』浄全一一・五三一)として生因と業成を区別したが、名越派の尊観は『浄土十六箇条疑問答』(浄全一一)の第一「三心具足念仏章」において生因即業成を説いた。
【参照項目】➡業成、一念業成・多念業成
【執筆者:兼岩和広】