正しい観法と邪よこしまな観法のこと。『観経』には、度々「この観を作すをば、名づけて正観とす。もし他観するをば、名づけて邪観とす」(聖典一・二九四/浄全一・四〇など)と説かれる。善導はこの内、正観を観法において観ずべき対象を見ることであり、心と観法の対象が相応することであるとし、邪観を観法において観ようとする対象以外のものを見てしまうことであり、心と観法の対象が相応しないことであるとする(聖典二・二四四/浄全二・三六下)。
【執筆者:編集部】