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三心退不退

提供: 新纂浄土宗大辞典

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さんじんたいふたい/三心退不退

三心解釈の相違から生じた法然門下における諸説。三心は退転することがあるかないかという問題。浄土宗義においては三心衆生の起こすべき心であるとするため、凡夫の起こす浅ましき三心は退転することもあるとされる。その際の退縁として『東宗要』において別解別行退(異学異見退)・自造罪退・捨命退(命欲終時退)の三種が挙げられる。別解別行退とは信仰を異にする人のすすめによって退転すること、自造罪退とは自ら大罪を造り懺悔しない者は往生心が退転するということ、捨命退とは大病によって命終わるとき死を恐れるあまりに三心が退転することである。また聖冏は、「宗家の釈に依るに、退縁に三有り。一つには異学異見退、二つには自造罪退、三つには命欲終時退」(浄全三・一二一上)と述べ、退縁に三種を挙げる。法然は『十二箇条問答』において、悪縁から心を護る方法として三途の苦を思いやること、無上の理をさとること、常に念仏して心を励ますこと、善き友と遇うことなどを挙げている。


【資料】良忠『決疑鈔』四、同『疑問抄』下


【参考】石井教道『浄土の教義と其教団』(富山房書店、一九七二)


【参照項目】➡三心


【執筆者:長尾隆寛】