「一類往生・二類往生」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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2018年3月30日 (金) 06:19時点における最新版
いちるいおうじょう・にるいおうじょう/一類往生・二類往生
念仏する者(一類)のみが阿弥陀仏の浄土に往生できることを一類往生、また念仏一類往生ともいい、念仏とともに、念仏以外の諸行によっても往生ができると説くことを二類往生という。一類往生とは、阿弥陀仏の四十八願は第十八願におさまるから、念仏一行のみが浄土に往生できるのであり、余他の諸行では往生できないとするもので、この説はとくに西山義や長楽寺義において主張される。西山義では釈尊一代の仏教を行門・観門・弘願の三つに分け、阿弥陀仏の本願を弘願とし、弘願念仏でなければ報土往生はできないとする。また長楽寺義では報土往生ができるのは第十八願にかぎるとし、九品往生は浄土の辺地にある胎宮に往生するという。これに対して、二類往生は二類各生ともいい、鎮西義では諸行は非本願行としながらも、回向して往生を求願すれば阿弥陀仏の大慈悲によって往生できるとし、広義に諸行往生を認め、二類往生を説いていると指摘される。したがって二類往生とは、一類往生を立てる西山義の立場から鎮西義を評したものであり、行観の『選択集秘鈔』一には「他流には諸行・念仏二類往生と謂う。西山には念仏一門にて一類往生と謂う」(浄全八・三四一下)とある。
【資料】行観『観無量寿経疏私記』「散善義三」、音空『息諍解謗編』
【執筆者:廣川堯敏】