「真身観」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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しんじんがん/真身観
真実の仏身を観想すること。『観経』に説かれる一六種の観法のうちの、第九観に対する善導の呼称。『観経疏』に出る。『観経』の本文において第九観は「徧く一切の色身を観ずる想とす。第九の観と名づく」(聖典一・三〇一/浄全一・四四)とされているのみで、真身観という呼称は見られない。第九観に対する呼称として、浄影寺慧遠は『観経義疏』において、第九観は正報観の一つとし「仏身観」と名づけている。慧遠は、『観経』に説かれる観法は仏の具体的なすがたの観察であり、その中でも阿弥陀仏一仏に限って観察するので「応身観の始」であると規定した。第九観で観察の対象となる、西方極楽世界の阿弥陀仏は応身であり真身ではない、とする。それに対して善導は『観経疏』において、観察の対象を依報と正報に分け、第九観は真正報を観察するものとした。第九観を仏身観ではなく真身観とすることは、阿弥陀仏は報身であるという、善導の阿弥陀仏観に基づく呼称であると言える。
【執筆者:曽和義宏】