「荒見弥四郎」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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2018年3月30日 (金) 06:18時点における最新版
あらみやしろう/荒見弥四郎
一三世紀中頃、生没年不明。良忠に帰依した下総国荒海(千葉県成田市)を地盤とする武士。千葉常胤の四男に大須賀(成田市)地域を領有した胤信がおり、その子胤村が「荒見小四郎」を称しているから(『系図纂要』)、彼かその縁者が該当するであろう。正嘉元年(一二五七)に良忠から『観経疏』講述を受けた熱心な信者であったが、のち土地のことで不和となり、それが契機となって良忠は鎌倉に向かったとされる。
【資料】『然阿上人伝』(浄全一七)、『系図纂要』(千葉氏)
【執筆者:小此木輝之】