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「加藤求道」の版間の差分

提供: 新纂浄土宗大辞典

 
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2018年3月30日 (金) 06:21時点における最新版

かとうぐどう/加藤求道

文化六年(一八〇九)四月一四日—明治一六年(一八八三)六月一日。妙蓮社法誉随順阿、あざなは仏願、本説、民臥求道とも称する。尾張国に生まれる。江戸で遊学し天保年間(一八三〇—一八四四)に蒼誉弁苗より宗脈・戒脈相承した。嘉永元年(一八四八)、九品院(愛知県岡崎市)四世の法灯を継ぎ、教化寺門の興隆に努めた。明治一六年遷化。『専修三河往生験記』には、弟子である説門(三河大樹寺五二世)によって師の行状が伝えられている。


【参考】大橋俊雄『浄土宗人名事典』(斎々坊、二〇〇一)


【執筆者:上田千年】