「唯仏与仏」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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2018年3月30日 (金) 06:35時点における最新版
ゆいぶつよぶつ/唯仏与仏
ただ仏と仏とのみが互いに知ることができ、凡夫は知ることができない境地のこと。『法華経』方便品に「唯だ仏と仏のみ乃し能く諸法の実相を究尽したもう」(正蔵九・五下)、『仁王般若経』に「唯だ仏と仏のみ乃し斯の事を知る」(正蔵八・八二八上)などとあるのが有名で、『華厳経』『起信論』『法華経論』などにも説かれる。善導『往生礼讃』の「広懺悔」には「唯だ仏と仏とのみ乃ち能く我が罪の多少を知りたまえり」(浄全四・三七五上)とあり、衆生が犯した罪の多い少ないは、菩薩から声聞・縁覚にいたるまで知りえず、ただ仏と仏とのみが知ることができるという。この境地を仏身仏土論中のいずれに配するかは諸師によって異なりがあり、隋代の浄影寺慧遠、智顗、吉蔵らは唯仏与仏の境地を法身および法身浄土に配したが、玄奘によって『仏地経論』が訳出されて以後は、仏の自内証の境地である自受用の身土に該当するとの説も支持されるようになった。
【執筆者:工藤量導】