「釜山共生苑」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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2018年3月30日 (金) 06:32時点における最新版
ふざんきょうせいえん/釜山共生苑
大正から昭和にかけて朝鮮開教区にあった教育・福祉施設。大正一三年(一九二四)朝鮮開教区釜山知恩寺住職、大田秀山によって朝鮮同胞教化機関として実業学校と共生女学院を兼ねて設立された。本堂を教室と兼ねていたため、同一五年に元フランス教会の建物を借りて移設した。その際、学園部門を高等科、実務科、夜間部に分け、その他、宗教部(日曜学校など)、託児部、教化部、授産部等が設置された。昭和三年(一九二八)には新園舎となり、実費診療所、調査部なども含めた隣保事業を進めた。終戦後、米軍に接収され、その幕を閉じた。
【参考】竹中信常他『浄土宗海外布教のあゆみ』(浄土宗開教振興協会、一九九〇)
【執筆者:鷲見宗信】