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「道残」の版間の差分

提供: 新纂浄土宗大辞典

 
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2018年3月30日 (金) 06:30時点における最新版

どうざん/道残

—文禄二年(一五九三)九月二三日。然蓮社良智。また源立という。金戒光明寺二二世、清浄華院三二世。近世初期の僧。越前国の生まれ。一八歳から三〇歳まで下野国大沢円通寺良迦性海に師事し、名越派の奥義を相承した。のち諸国を廻り、生国越前国敦賀西福寺亮叡の請いにより同寺の住職となり再興した。天正七年(一五七九)安土宗論では貞安と共に活躍し、翌年香衣参内を許された。同一四年清浄華院三二世となり金戒光明寺を兼帯した。同一七年金戒光明寺二二世となり、清浄華院からの独立運動を展開したが、豊臣秀吉からは許可されなかった。種々の問題を起こし、山荒しの道残といわれたが、西福寺所蔵の月形函伝書を書写し、後世に残した功績は大きい。著書に『和風安心抄』三巻がある。


【資料】『西福寺文書』(『史料纂集』古文書編三、続群書類従完成会、一九七三)、『開題考文抄』(続浄一〇)、『清浄華院誌要』『黒谷誌要』(共に浄全二〇)


【執筆者:𠮷水成正】