「盛林」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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じょうりん/盛林
天文一四年(一五四五)—元和三年(一六一七)一一月二一日。泰蓮社琴誉昶阿。金戒光明寺二六世。伊勢国山田(三重県伊勢市)の松田氏に生まれた。幼くして上洛し金戒光明寺に入り、天正元年(一五七三)関東に遊学し、生実大巌寺の虎角に師事。その後、山田に浄閑寺を建立して布教に専念するも、文禄二年(一五九三)徳川家康の命で再度上洛して浄福寺に晋董し、慶長一五年(一六一〇)には金戒光明寺二六世となる。二年後、御影堂や方丈などを焼失するが復興し、晩年は浄閑寺に隠居した。「念仏三毒滅尽不滅尽之諍論記」と題した書状がある。
【資料】『黒谷誌要』(浄全二〇)、『金戒光明寺文書』
【参考】玉山成元『普光観智国師』(白帝社、一九七〇)
【執筆者:大屋正順】