「定心念仏・散心念仏」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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じょうしんねんぶつ・さんじんねんぶつ/定心念仏・散心念仏
心を統一して称える念仏と、心が統一できないまま称える念仏。法然は明遍との問答で「散心を捨てて往生せんといわん事、その理しかるべからず。散心ながら念仏申す者が往生すればこそめでたき本願にてはあれ」(聖典四・四七六)と論じている。また「散れども名を称すれば仏願力に乗じて往生すべしとこそ心得てそうらえ。ただ詮ずるところ多らかに念仏を申しそうろうが第一の事にてそうろうなり」(同)と、定心・散心という心の有り様を問わず、念仏を多く称えることが第一であると説いている。また聖冏は『浄土略名目図見聞』において「散心念仏とは尋常の行儀、行住坐臥散心の称名なり。定心念仏とは見仏の要期に住し、相貌を取らず、専ら名号を称うなり。この定心・散心の念仏共に五種の嘉誉、三縁を具うなり」(浄全一二・七二六上)と述べている。
【参照項目】➡定心・散心
【執筆者:大嶋憲彰】