「最後身」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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さいごしん/最後身
迷いの世界の生存の最後の身。Ⓢantima-deha。また最後有(Ⓢpaścima-bhava)、末後身ともいう。『法華経』方便品に「この諸もろの比丘比丘尼、自ら謂う、已に阿羅漢を得たり。是れ最後身にして究竟の涅槃なり」(正蔵九・七下)とあるように阿羅漢を最後身といい、また『瑜伽論略纂』一一に「最後身とは謂わく、已に欲界に生じ、即ち此の身に成道す。此の身は生死身の最後の有なるが故に、最後身と名づく」(正蔵四三・一三八下)とあるように、その生存において成道する菩薩の身を最後身と呼ぶ。菩薩については一生補処との異同について、『婆沙論』一七一には、「第四の入胎は是れ最後身の菩薩なり。謂わく、覩史多天より歿して浄飯王宮に下生する時なり。第三の入胎は是れ一生所繫の菩薩なり。謂わく、まさに贍部洲より歿して覩史多天に生ずべき時なり」(正蔵二七・八六三下)とあって兜率天に住する間を一生所繫(一生補処)、兜率天より下生してからを最後身と呼ぶ。ちなみに善導は『観経疏』散善義において最後身とは十地の菩薩であるとし(聖典二・三〇一/浄全二・六一下)、聖冏は『釈浄土二蔵義』六において『婆沙論』と同様の説を述べる(浄全一二・六八上)。
【参照項目】➡一生補処
【執筆者:齊藤舜健】