「究嵓」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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きゅうがん/究嵓
天正五年(一五七七)—慶安元年(一六四八)四月二四日。本蓮社誓誉。百万遍知恩寺三八世。高崎大信寺の不残に師事し、その法脈を授かる。元和三年(一六一七)、大信寺の住持となり、大衆をよく教化した(大信寺文書)。その後、三河国源空寺に隠棲したが、正保二年(一六四五)、徳川家光の台命によって知恩寺に晋董し三八世となる。世寿七二歳。
【資料】『長徳山知恩寺歴志略』(仏全一一七)、『浄源脈譜』(浄全一九)、『百万遍知恩寺誌要』(浄全二〇)
【参考】伊藤祐晃『浄土宗史の研究』(伊藤祐晃師遺稿刊行会、一九三七)
【執筆者:加藤弘孝】