本願の成就によって正報しょうぼう(仏身)と依報えほう(浄土)とが実現されたことをいう。法然が『逆修説法』において「かくの如きの依報、皆彼の仏の願力所成の功徳なり…国の中にあらゆる依正二報は、併せて法蔵菩薩の願力に答えて成就し給えるなり。これはこれ阿弥陀仏の功徳と粗意得べきや」(昭法全二六二~三)と説かれているのに依る。また狭義では、対象が浄土に限られて用いられる場合もある。
【参照項目】➡依報・正報
【執筆者:長尾隆寛】