「歓喜踊躍」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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かんぎゆやく/歓喜踊躍
喜びの感情が高まり思わずおどりあがること。踊躍歓喜ともいう。Ⓢaudbilya-prāptaⓈprītisaumanasya-jātaなどの訳。広く経典に見られる表現であり、例えば『無量寿経』上には「もし我れ仏を得たらんに、他方国土の諸もろの菩薩衆、我が名字を聞きて、歓喜踊躍して菩薩の行を修し、徳本を具足せん。もししからずんば、正覚を取らじ」(聖典一・二三一~二/浄全一・一〇)とある。また『法華経』信解品では「我等、今日、仏の音教を聞き、歓喜踊躍して」(正蔵九・一七下)とあり、これらの表現は名字や仏法を聞くことで歓喜踊躍することを示している。法然は『諸人伝説の詞』において「今度の生に念仏して来迎に預からん嬉しさよと思いて、踊躍歓喜の心のおこりたらん人は、自然に三心は具足したりと知べし」(聖典四・四八五/昭法全四六一)と、あるいは、『三心料簡および御法語』において「歓喜踊躍の心の即ち発たれば、三心具足せる瑞と知るべし」(昭法全四五一)と説き、歓喜踊躍を三心の具足したことの証としてとらえている。
【参考】清水澄「法然上人の人間観—歓喜踊躍の心をめぐって—」(『法然仏教の研究』山喜房仏書林、一九七五)、小林良信「〈無量寿経〉の『歓喜踊躍』について」(『仏教論叢』三〇、一九八六)
【参照項目】➡踊り念仏
【執筆者:永田真隆】