「名体不離」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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2018年3月30日 (金) 06:34時点における最新版
みょうたいふり/名体不離
名(名号)と、その名によってあらわされる体(仏体)とは各別でなく、名を離れて体なく、体を離れて名なく、両者の関係が不離であること。名体相即・名体不二ともいう。曇鸞『往生論註』下の讃歎門釈に「名の法に即すとは諸仏菩薩の名号、般若波羅蜜、及び陀羅尼の章句、禁呪の音辞等これなり。…名の法に異する有りとは、指をもて月を指すがごとき等の名なり」(浄全一・二三八下~九上)と説かれている。すなわち阿弥陀仏の名号はその体である阿弥陀仏と相即不二ということで、法然の万徳所帰の名号観の大前提をなす説である。なお名体不離の用語は良忠以降にみられ、聖聡『往生論註記見聞』二には「名号はこれ仏体の名なり。名体不離の故に名号に仏体を収む。仏体は名号を顕す。彼の仏の三身四智は皆なこれ仏体なり」(浄全一・三五九上)と、名(名号)と体(仏体)の不離の関係を説明している。
【資料】『往生論註』下、『往生論註記見聞』二
【参考】藤堂恭俊『無量寿経論註の研究』(仏教文化研究所、一九五八)
【執筆者:石川琢道】