「縁覚」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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えんがく/縁覚
独力でさとりに向かい、さとりを開いた人。「無師独悟」ともいわれる。Ⓢpratyeka-buddhaⓅpacceka-buddha。辟支仏、独覚ともいう。この名称はジャイナ教でも用いられる。『婆沙論』に「彼は寂静を愛し独処を楽うが故に、喧雑を怖畏し衆の集まるを厭うが故に、遠離の功徳、憒閙の過失を見るが故なり。心徒衆に背く、豈に能く説法せんや」(正蔵二七・九〇五下)とあるのは、独居のあり方を示したものである。また『俱舎論』に「独覚というは、謂わく、現身の中に至教を稟くることを離れて、唯自らのみにて道を悟り、能く自ら調して他を調せざるをもっての故なり」(正蔵二九・六四中)とあるのは、さとりを得ても、他に教えを説くことのない人をいう。大乗では、他に教えを説かないことから批判され、利己的な者と解された。『大乗義章』では語義にもとづき、十二縁起の理をさとった者とする。
【資料】『釈浄土二蔵義』五
【執筆者:西村実則】