「栃社」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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とちこそ/栃社
法然の誕生所の地名。『私日記』や『四十八巻伝』一で美作国久米南条稲岡庄とする法然の誕生の地は、『私聚百因縁集』八では久米南条稲岡北庄とし、さらに『九巻伝』一上では「久米の南条いなをかのきたの庄栃社」(法伝全三四〇下)とする。『翼賛』一によれば、栃社は「荘ノ内ニ在ル小邑ノ別名」(浄全一六・一〇七下)であるとし、当時、誕生寺の辺りを栃社と言い伝えて、在所の人はその名を呼んでいたという。誕生寺はこの地名を採って山号としている。
【資料】『私聚百因縁集』(仏全一四八)、『栃社山誕生寺縁起』(仏全一二〇)、『西作誌』中(『新訂作陽誌』一、作陽新報社、一九七五)
【参照項目】➡誕生寺一
【執筆者:山本博子】