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「存冏」の版間の差分

提供: 新纂浄土宗大辞典

 
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2018年3月30日 (金) 06:28時点における最新版

ぞんげい/存冏

応永一八年(一四一一)—明応八年(一四九九)三月四日。音蓮社釈誉。三河国信光明寺開山。その家系は千葉氏であり、聖聡とは同族にあたる。聖聡のもとで出家した後、下総国飯沼弘経寺開山良肇のもとで修学。宝徳三年(一四五一)、松平信光の帰依を受けて信光明寺開山となる。文明一〇年(一四七八)には、松平、酒井一族の寄進によって諸堂伽藍を落成し、その翌年に後土御門天皇より勅願所の綸旨りんじを授かった。弟子存牛がいる。世寿八九歳。


【資料】『蓮門精舎旧詞』一六(続浄一八)、『浄土宗寺院由緒書』下(『増上寺史料集』七)、『総系譜』中(浄全一九)


【執筆者:加藤弘孝】