一二~三世紀頃、生没年不明。法然の門弟。建永の法難のとき、流罪に遭ったうちの一人で、備後国に流された(『法水分流記』、『古徳伝』七、『歎異抄』)。『翼賛』三三では、流罪の一人に「浄円房 備後ノ国」(浄全一六・五一七下)とあるが、これは、浄聞房の間違いの可能性がある。
【執筆者:角野玄樹】