「解信」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
Seishimaru (トーク | 投稿記録) 細 (1版 をインポートしました) |
Seishimaru (トーク | 投稿記録) 細 (1版 をインポートしました: 20180917 リンクと画像表示修正) |
||
7行目: | 7行目: | ||
− | [[File:図_げしん【解信】.jpg| | + | [[File:図_げしん【解信】.jpg|thumb|left|upright=2.5|[[解信]]]] |
2018年9月17日 (月) 01:17時点における最新版
げしん/解信
教えを知的に理解して信じること。良忠は『浄土宗要集聴書』末で「浄土の円教は仰信の一乗なり、聖道の円教は解信の一乗なり」(浄全一〇・二八〇下)と言う。聖冏は『糅鈔』で解信は証悟ではなくてその初歩的な理解であるとする。また『教相十八通』上で、「我が宗の教門解義因分は全く諸宗の実義大信の果分に当る」(浄全一二・七三九上)とし、「今、解信の四句を作って以て十宗の旨趣を貫ぬ」(浄全一二・七四一上)として図のように示す(浄全一二・七四一上~下)。
【参照項目】➡仰信
【執筆者:藤本淨彦】