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「阿弥陀経疏西資鈔」の版間の差分

提供: 新纂浄土宗大辞典

 
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=あみだきょうしょさいししょう/阿弥陀経疏西資鈔=
 
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一巻、ただし欠本。『[[長西録]]』には著者を慧浄とするが、『[[楽邦文類]]』([http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT2018/V47.0197b.html 正蔵四七・一九七中]、二〇一上)や『[[仏祖統紀]]』([http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT2018/V49.0205a.html 正蔵四九・二〇五上])や『[[義天]]録』([http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT2018/V55.1172a.html 正蔵五五・一一七二上])では著者を宋の智円(九七六—一〇二二)とし、『[[楽邦遺稿]]』([http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT2018/V47.0234c.html 正蔵四七・二三四下])や『[[浄土或問]]』(同・二九九中)にはわずかではあるが逸文の引用を見ることができる。智円には『[[阿弥陀経]]』の注釈として『[[阿弥陀経疏]]』があるが、『[[楽邦遺稿]]』や『[[浄土或問]]』に見られる逸文が『[[阿弥陀経疏]]』には確認できないことから、両書は別本であると考えられる。また正徳四年(一七一四)版の智円『[[阿弥陀経疏]]』の[[奥書]]([http://jodoshuzensho.jp/jozensearch_post/search/detail.php?lineno=J05_0642 浄全五・六四二下])には本書は未伝であるとしている。
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一巻、ただし欠本。『[[長西録]]』には著者を慧浄とするが、『[[楽邦文類]]』([http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT2018/V47.0197b.html 正蔵四七・一九七中]、二〇一上)や『[[仏祖統紀]]』([http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT2018/V49.0205a.html 正蔵四九・二〇五上])や『[[義天]]録』([http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT2018/V55.1172a.html 正蔵五五・一一七二上])では著者を宋の智円(九七六—一〇二二)とし、『[[楽邦遺稿]]』([http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT2018/V47.0234c.html 正蔵四七・二三四下])や『[[浄土或問]]』([http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT2018/V47.0299b.html 同・二九九中])にはわずかではあるが逸文の引用を見ることができる。智円には『[[阿弥陀経]]』の注釈として『[[阿弥陀経疏]]』があるが、『[[楽邦遺稿]]』や『[[浄土或問]]』に見られる逸文が『[[阿弥陀経疏]]』には確認できないことから、両書は別本であると考えられる。また正徳四年(一七一四)版の智円『[[阿弥陀経疏]]』の[[奥書]]([http://jodoshuzensho.jp/jozensearch_post/search/detail.php?lineno=J05_0642 浄全五・六四二下])には本書は未伝であるとしている。
 
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【執筆者:柴田泰山】
 
【執筆者:柴田泰山】

2018年9月17日 (月) 00:19時点における最新版

あみだきょうしょさいししょう/阿弥陀経疏西資鈔

一巻、ただし欠本。『長西録』には著者を慧浄とするが、『楽邦文類』(正蔵四七・一九七中、二〇一上)や『仏祖統紀』(正蔵四九・二〇五上)や『義天録』(正蔵五五・一一七二上)では著者を宋の智円(九七六—一〇二二)とし、『楽邦遺稿』(正蔵四七・二三四下)や『浄土或問』(同・二九九中)にはわずかではあるが逸文の引用を見ることができる。智円には『阿弥陀経』の注釈として『阿弥陀経疏』があるが、『楽邦遺稿』や『浄土或問』に見られる逸文が『阿弥陀経疏』には確認できないことから、両書は別本であると考えられる。また正徳四年(一七一四)版の智円『阿弥陀経疏』の奥書浄全五・六四二下)には本書は未伝であるとしている。


【執筆者:柴田泰山】