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「無量」の版間の差分

提供: 新纂浄土宗大辞典

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=むりょう/無量=
 
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量ることができないこと。対応する[[梵語]]にはⓈamitaやⓈapramāṇaがあり、共に測りがたいこと、あるいは量が莫大なことを意味する語である。Ⓢamitaは[[無量寿]](Ⓢamitāyus)仏、[[無量光]](Ⓢamitābha)仏の[[無量]]にあたり、前者は[[寿命]]が膨大な長さであること、後者は[[光明]]に限りがないことを意味している。またⓈapramāṇaは[[無量光]]天(Ⓢapramāṇābha)の[[無量]]にあたり、こちらも[[光明]]が勝れていて測りがたいことを意味している。また[[無量]]は「[[無量]]無辺[[不可思議]]」(例えば『[[無量寿経]]』〔聖典一・二五一/浄全一・二〇〕)や「[[無量]]無数[[不可思議]]」(同〔聖典一・二二九/浄全一・九〕)などの用例に見ることができ、考えも及ばないほどの膨大な数を表す表現として用いられる。
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量ることができないこと。対応する[[梵語]]にはⓈamitaやⓈapramāṇaがあり、共に測りがたいこと、あるいは量が莫大なことを意味する語である。Ⓢamitaは[[無量寿]](Ⓢamitāyus)仏、[[無量光]](Ⓢamitābha)仏の[[無量]]にあたり、前者は[[寿命]]が膨大な長さであること、後者は[[光明]]に限りがないことを意味している。またⓈapramāṇaは[[無量光]]天(Ⓢapramāṇābha)の[[無量]]にあたり、こちらも[[光明]]が勝れていて測りがたいことを意味している。また[[無量]]は「[[無量]]無辺[[不可思議]]」(例えば『[[無量寿経]]』〔聖典一・二五一/[http://jodoshuzensho.jp/jozensearch_post/search/detail.php?lineno=J01_0020 浄全一・二〇]〕)や「[[無量]]無数[[不可思議]]」(同〔聖典一・二二九/[http://jodoshuzensho.jp/jozensearch_post/search/detail.php?lineno=J01_0009 浄全一・九]〕)などの用例に見ることができ、考えも及ばないほどの膨大な数を表す表現として用いられる。
 
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【参照項目】➡[[無量寿]]、[[無量光]]
 
【参照項目】➡[[無量寿]]、[[無量光]]
 
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【執筆者:石田一裕】
 
【執筆者:石田一裕】

2018年9月17日 (月) 10:09時点における最新版

むりょう/無量

量ることができないこと。対応する梵語にはⓈamitaやⓈapramāṇaがあり、共に測りがたいこと、あるいは量が莫大なことを意味する語である。Ⓢamitaは無量寿(Ⓢamitāyus)仏、無量光(Ⓢamitābha)仏の無量にあたり、前者は寿命が膨大な長さであること、後者は光明に限りがないことを意味している。またⓈapramāṇaは無量光天(Ⓢapramāṇābha)の無量にあたり、こちらも光明が勝れていて測りがたいことを意味している。また無量は「無量無辺不可思議」(例えば『無量寿経』〔聖典一・二五一/浄全一・二〇〕)や「無量無数不可思議」(同〔聖典一・二二九/浄全一・九〕)などの用例に見ることができ、考えも及ばないほどの膨大な数を表す表現として用いられる。


【参照項目】➡無量寿無量光


【執筆者:石田一裕】