「法聡」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
Seishimaru (トーク | 投稿記録) 細 (1版 をインポートしました) |
|
(相違点なし)
|
2018年3月30日 (金) 06:32時点における最新版
ほうそう/法聡
生没年不明。中国の僧。『釈観無量寿仏経記』の著者。伝記など一切なく詳細は不明であるが、この『釈観無量寿仏経記』の巻末に行満の識語があり、行満が唐・元和一二年(八一七)に禅林寺においてこの書を見たことや、法聡が久しく毗壇(毘壇)にいて行満と共に一宗の相承を聴いたことが記されている。『止観輔行伝弘決』序や『法華玄義釈籤』序からこの毘壇が湛然の居住地であったことが分かり、また行満が湛然門下であることなどから、法聡も湛然の門下であったと考えられる。なお、毘壇は現在の江蘇省常州あたりで、毘陵・晋陵とも呼ばれた。
【参照項目】➡釈観無量寿仏経記
【執筆者:横田善教】