—貞治四年(一三六五)七月二六日。信誉。玄理とも称した。百万遍知恩寺一〇世。伝歴の詳細は不明。在住時は南北朝の対峙している時期であったが、よく祖跡を護り法灯を伝えたという。
【資料】『百万遍知恩寺誌要』(浄全二〇)、『浄源脈譜』(浄全一九)
【執筆者:笠島崇信】