「西親」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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2018年3月30日 (金) 06:24時点における最新版
さいしん/西親
安元二年(一一七六)—承久三年(一二二一)七月一二日。藤原光親の法名。才学に秀で、後鳥羽上皇の殊遇を蒙った。九条兼実は臨終の際(一二〇七)、光親に法然の赦免を願う遺言を残し、光親はその旨をうけて法然の赦免をたびたび申し入れている。承久の乱の際、北条氏討伐を謀る後鳥羽上皇を諫めるも聞き入れられず、乱後幕府方に捕らえられ、承久三年七月一二日駿河国加古坂で誅された。斬首の直前に出家し、西親となる。四六歳であった。
【資料】『尊卑分脈』、『吾妻鏡』承久三年、『四十八巻伝』三五・三六、高田本『伝法絵』下
【参考】三田全信『成立史的法然上人諸伝の研究』(平楽寺書店、一九七六)
【執筆者:南宏信】