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「桑田寛随」の版間の差分

提供: 新纂浄土宗大辞典

 
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2018年3月30日 (金) 06:22時点における最新版

くわだかんずい/桑田寛随

慶応三年(一八六七)九月一日—昭和一四年(一九三九)五月二〇日。済蓮社博誉了阿栗堂。百万遍知恩寺七〇世。現在の広島県福山市御船町に桑田三五の長男として生まれる。浦上光福寺量誉寛樹について出家し、明治一七年(一八八四)から同二〇年まで知恩院山内大学林泉涌寺せんにゅうじ、智積院等で宗余乗、特に唯識を究め、さらに東京浄土宗学本校でも唯識を学んだ。同二七年に浄土宗学本校を卒業後、浄土宗専門学院幹事、佛教専門学校教授等を歴任し、大正一二年(一九二三)に佛教専門学校長に就任する。昭和九年(一九三四)、百万遍知恩寺法主となり、同一四年に没する。論考に「万法唯識」(『仏教仏教学会出版、一八九三)、「浄土往生するとは」(『浄土』一—六、法然上人鑽仰会、一九三五)がある。


【参考】千賀真順編『佛教専門学校三十年史』(佛教専門学校出版、一九四二)、大橋俊雄「近代高僧伝 桑田寛随」(『浄土』三〇—二、法然上人鑽仰会、一九六四)、同『浄土宗人名事典』(斎々坊、二〇〇一)


【執筆者:髙津晴生】