「牛秀」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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ぎゅうしゅう/牛秀
大永四年(一五二四)—慶長一〇年(一六〇五)六月一二日。応蓮社讃誉助給。初め文貞という。滝山大善寺開山。『説法色葉集』一〇巻を著したことで知られる。武蔵国立川村の人。父は立川村領主立川能登守清房、母は鈴木佐渡守重親の女。初め相即寺の忍誉貞安のもとで出家し、後に川越蓮馨寺感誉存貞の弟子となる。天文二一年(一五五二)貞安が入寂し相即寺二世を継ぐ。天正三年(一五七五)五月、立川村に長円寺を開創。同一三年、滝山城主北条氏照の帰依をうけ滝山大善寺を創建。のちに城の移転と共に、寺を慈根寺村(東京都八王子市元八王子)に移した。同一八年に慈根寺城が落去して多数の戦死者が出たため、牛秀は亡魂得脱のために翌年より十夜の法会を開いた。これが大善寺の諷誦文十夜の起源とされる。慶長七年(一六〇二)秋、日野に大昌寺を建立し、隠棲して念仏にはげみ、同寺において寂す。世寿八二歳。
【資料】『総系譜』上(浄全一九)、『滝山大善寺志』(浄全二〇)、『鎮流祖伝』(浄全一七)、『新編武蔵風土記稿』一〇一(『大日本地誌大系』五)、『浄土宗寺院由緒書』中(『増上寺史料集』六)
【参考】大昌寺編『説法色葉集』(青史出版、二〇〇五)
【執筆者:原口弘之】