「往的」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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2018年3月30日 (金) 06:21時点における最新版
おうてき/往的
寛文八年(一六六八)—元文三年(一七三八)四月二五日。正蓮社堅誉良阿不卻。知恩院四八世。生地不明。正徳五年(一七一五)六月に深川霊巌寺一〇世、享保九年(一七二四)六月に飯沼弘経寺三六世、小石川伝通院二四世を歴任、同一七年二月二日に台命をうけ六五歳にして知恩院四八世となる。この年と翌年に全国的な飢饉に襲われたため、窮民に施米を行った。同年四月一六日(一説には六月)、大僧正に任ぜられた。元文二年(一七三七)一月一〇日から三日間、源智の五〇〇回忌法要を厳修。七一歳で入寂したが、在任六年の間に中御門上皇による『四十八巻伝』の叡覧があった。
【資料】『華頂誌要』(浄全一九)、『知恩院史』(知恩院、一九三七)、大橋俊雄『霊巌寺史』(霊巌寺、一九八一)
【執筆者:伊藤弘道】