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提供: 新纂浄土宗大辞典

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応永一〇年(一四〇三)—長禄三年(一四五九)一月二四日。行[[蓮社]]大誉。[[知恩院]]二一世。武蔵国日比谷に生まれ、蓮誉のもとで[[出家]]して学ぶが、ついで[[聖聡]]に師事し[[璽書]]を授けられる。[[聖聡]]の死後に上洛し、嘉吉二年(一四四二)八月に[[百万遍]][[知恩寺]]の一九世となる。関東[[白旗派]]の中で最初に京都に進出した人物であり、これによって京都に[[白旗]]の法流が興起した。翌年、後花園天皇に[[浄土門]]首座と認められて[[香衣]]被着を賜り、これが[[浄土宗]]における[[香衣]]勅許のはじまりとなる。宝徳三年(一四五一)[[知恩院]]に入山して再興に尽力し、中興の祖と讃えられる。
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応永一〇年(一四〇三)—長禄三年(一四五九)一月二四日。行[[蓮社]]大誉。[[知恩院]]二一世。武蔵国日比谷に生まれ、蓮誉のもとで[[出家]]して学ぶが、ついで[[聖聡]]に師事し[[璽書]]を授けられる。[[聖聡]]の死後に上洛し、嘉吉二年(一四四二)八月に[[百万遍]][[知恩寺]]の一九世となる。関東[[白旗派]]の中で最初に京都に進出した人物であり、これによって京都に[[白旗]]の法流が興起した。翌年、後花園天皇に[[浄土門]]首座と認められて[[香衣]]被着を賜った。宝徳三年(一四五一)[[知恩院]]に入山して再興に尽力し、中興の祖と讃えられる。
 
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【資料】『知恩院史』(知恩院、一九三七)、『略伝集』(浄全一八)、『華頂誌要』(浄全一九)
 
【資料】『知恩院史』(知恩院、一九三七)、『略伝集』(浄全一八)、『華頂誌要』(浄全一九)

2021年11月24日 (水) 07:15時点における最新版

けいじく/慶竺

応永一〇年(一四〇三)—長禄三年(一四五九)一月二四日。行蓮社大誉。知恩院二一世。武蔵国日比谷に生まれ、蓮誉のもとで出家して学ぶが、ついで聖聡に師事し璽書を授けられる。聖聡の死後に上洛し、嘉吉二年(一四四二)八月に百万遍知恩寺の一九世となる。関東白旗派の中で最初に京都に進出した人物であり、これによって京都に白旗の法流が興起した。翌年、後花園天皇に浄土門首座と認められて香衣被着を賜った。宝徳三年(一四五一)知恩院に入山して再興に尽力し、中興の祖と讃えられる。


【資料】『知恩院史』(知恩院、一九三七)、『略伝集』(浄全一八)、『華頂誌要』(浄全一九)


【参考】大島泰信『浄土宗史』(浄全二〇)


【執筆者:工藤量導】