「干菜寺系六斎念仏」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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2018年3月30日 (金) 06:32時点における最新版
ほしなでらけいろくさいねんぶつ/干菜寺系六斎念仏
干菜寺(光福寺、京都市左京区田中上柳町)に伝承された六斎念仏。同寺に伝わる『浄土常修六斎念仏興起』によれば、円爾弁円の弟子の道空が、師命により念仏門に転じ、天帝釈の示現を得て文永元年(一二六四)に六斎念仏を開創したとされ、翌年には亀山天皇より六斎念仏総本寺の勅願を賜る。さらに正和二年(一三一三)には、花園天皇から常行六斎念仏の号を賜る。また干菜寺の名前は、文禄二年(一五九三)豊臣秀吉に、当時六斎念仏を行っていた月空宗心が、干した菜を進上したことに由来するといわれ、以後秀吉は六斎念仏に手厚い保護を施したとされる。この干菜寺系の六斎念仏は、最盛期には一二七の講があったといわれるが、六斎の芸能化を認めなかったことなどが理由で次第に減少し、現在は、西方寺(京都市北区)の西方寺六斎念仏保存会の伝承する六斎念仏のみとなっている。この西方寺六斎念仏は五山送り火の船形の点火後に行われ、使用される楽器は鉦と太鼓のみで芸能に題材を求めた曲もなく、六斎念仏の古態を伝えている。
【資料】『浄土常修六斎念仏興起』、『六斎支配村方控牒(干菜寺文書)』
【執筆者:兼岩和広】