「日野西徳宝」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
Seishimaru (トーク | 投稿記録) 細 (1版 をインポートしました) |
|
(相違点なし)
|
2018年3月30日 (金) 06:31時点における最新版
ひのにしとくほう/日野西徳宝
明治二三年(一八九〇)—昭和四二年(一九六七)四月二日。満蓮社海誉功阿。字は大信。東京市牛込区市ヶ谷の子爵日野西光善の八女。明治三三年(一九〇〇)奈良市法蓮山添町興福院広橋聖海に入門。第五教区宗学校付属尼衆校を卒業し、山下現有より宗戒両脈を相承。大正八年(一九一九)より長野善光寺大本願副住職を務め、同一四年に尼衆学校第二代校長に就任した。以後尼僧教育に尽力した。
【参考】大橋俊雄『浄土宗仏家人名事典近代篇』(東洋文化出版、一九八一)
【執筆者:市川定敬】