浄土宗全書を検索する
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巻_頁段行 | 本文 |
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J20_0456A01: | に記する所の如し後田中吉政當國を領するに當りて |
J20_0456A02: | 亦大に力を寺門の回興に致し元和二年十二月新に寺 |
J20_0456A03: | 領四百石を寄附す寄附狀左の如し |
J20_0456A04: | 爲源相國家康公御菩提、筑後國山本郡飯田村之 |
J20_0456A05: | 内、四百石令寄附訖。並本知百石都合五百石之 |
J20_0456A06: | 事、全可有寺納者也。仍如件。 |
J20_0456A07: | 十二月十七日 筑後守在判 |
J20_0456A08: | 善導寺修行 |
J20_0456A09: | 元和七年三月有馬氏當國を領するや故の如く寺領五 |
J20_0456A10: | 百石を給し且つ毎歳倉米百五十俵を寄贈し其の他種 |
J20_0456A11: | 種の物品を納入し大に寺風の宣揚に努む當山の今日 |
J20_0456A12: | ある所以素より三祖の威德に因ると雖も亦皇室並に |
J20_0456A13: | 武門大外護の力に荷負する所多しと謂はざるべから |
J20_0456A14: | ず |
J20_0456A15: | 行 事 |
J20_0456A16: | 當山行事の主なるもの三あり善導忌御忌及び開山忌 |
J20_0456A17: | 是れなり善導忌は陰曆三月十二日より十四日に至り |
J20_0456B18: | 御忌は同八月廿三日より廿五日に至り開山忌は二月 |
J20_0456B19: | 廿七日より廿九日に至る各三日間毎年之を執行す此 |
J20_0456B20: | の三大會は共に古來より遠近に喧傳せられ殊に中和 |
J20_0456B21: | の季候に當るを以て附近の町村之が爲に殷賑を極む |
J20_0456B22: | 就中開山忌の中日には門前藥師堂より開山の尊像を |
J20_0456B23: | 靈輿に乘せ天童數十前後を擁し前警後衞之に扈從し |
J20_0456B24: | 以て盛大なる庭儀を執行す之を拜せんとして羣集す |
J20_0456B25: | るもの無慮幾萬境内雜閙名狀すべからず |
J20_0456B26: | 又善導大師の靈驗著しく四遠其の益を被むるもの甚 |
J20_0456B27: | だ多し是を以て三祖堂に參拜するもの連日百人を下 |
J20_0456B28: | らず附近の住民多くは之に依りて以て其の生業を資 |
J20_0456B29: | くと云ふ |
J20_0456B30: | 現今の地域及び堂舍 |
J20_0456B31: | 一境内地 三町六反壹畝十二步 |
J20_0456B32: | 一本堂 間口十五間奧行十四間半建坪二百十七坪半 |
J20_0456B33: | 天明六年三月第四十八世三譽愍海上人重建 |
J20_0456B34: | 本尊阿彌陀佛脇士觀音勢至二菩薩安置 |