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J3040 筑後善導寺誌要 善導寺編 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0437A01: 筑後善導寺志
J20_0437A02:
J20_0437A03: 目 次
J20_0437A04: 一 位置 二 起原
J20_0437A05: 三 名稱 四 沿革
J20_0437A06: 五 子院及末寺 六 開山國師傳歷
J20_0437A07: 七 歷世住持略傳 八 皇室並武門歸依
J20_0437A08: 九 行事 十 現今寺域及堂舍
J20_0437A09: 十一 什寶
J20_0437A10: 位 置
J20_0437A11: 當山は筑後國三井郡善導寺村に在り此の地は元と山
J20_0437A12: 本郡草野庄に屬し井上と字せしが明治廿九年山本郡
J20_0437A13: を廢して今の郡に攝し又當山の寺號に依りて新に今
J20_0437A14: の村名を立つ大紹正宗國師棲身入寂の靈地にして淨
J20_0437A15: 土宗鎭西派の根本道場なり
J20_0437A16: 起 原
J20_0437A17: 大紹正宗國師は元祖圓光大師の嫡弟にして淨土宗の
J20_0437B18: 第二祖なり建久年中上洛して大師に給侍し淨土の宗
J20_0437B19: 義悉く之を傳承し後鎭西に歸りて當寺を建立す傳へ
J20_0437B20: 云ふ國師草野庄を遊行せられたるに大河の邊に曠野
J20_0437B21: あり紫雲靉靆として聳ゆるを見て佛法有縁の地なる
J20_0437B22: ことを知り精舍營建の心を起し給へりと時に當國の
J20_0437B23: 總司草野入道要阿深く國師に歸依し乃ち寺地を寄進
J20_0437B24: して三十六坊を建て其の妻作阿亦水田を施入して以
J20_0437B25: て衆僧の糧に充つ堂塔甍を比べ僧徒林を成し長日の
J20_0437B26: 勤行恆例の大會日を繼ぎて懈らず年を逐ふて絶ゆる
J20_0437B27: ことなし當時境内は東西七町南北五町境外は東飯田
J20_0437B28: 馬場道より西與田村に至る凡そ八町南箕面山麓より
J20_0437B29: 北筑摩川に亙りて凡そ二十三町悉く寺域に屬し又永
J20_0437B30: 續の料として水田七十五町祈願の料として水田五十
J20_0437B31: 町を領せりと云ふ
J20_0437B32: 名 稱
J20_0437B33: 當山は井上山光明院善導寺と號す善導寺の稱は建曆
J20_0437B34: 二年三月十三日國師の夢に善導大師示現しての給は

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