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J3020 清浄華院誌要 清浄華院編 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0353A01: の示寂年月を記して黑谷記には永享十年八月九日と
J20_0353A02: 云ふ其説定かならず春房入道の記に云く國師滅後六
J20_0353A03: 箇年を過きて應仁の亂あり應仁元丁亥年九月十三日
J20_0353A04: 細川左京太夫勝元の幕下京極大膳太夫持淸出雲飛彈
J20_0353A05: 江州の軍兵三萬餘騎を率て當院の地内に陣を取る山
J20_0353A06: 名金吾入道宗全の旗下防州の太守大内の助政弘六角
J20_0353A07: 四郞高賴一色左京太夫義直土岐左京太夫成賴等萬里
J20_0353A08: 小路三室院の境を燒攻にす夫より淨華院に押寄せて
J20_0353A09: 細川の勢を燒攻にしけれは猛火熾にして魔風烈烈た
J20_0353A10: り堂舍佛閣一時に燒失す云云
J20_0353A11: ○十二世良尊上人 勝縁と號す
J20_0353A12: ○十三世阿縁上人
J20_0353A13: 聖深と號す後ち黑谷に隱退す黑谷記には長祿二年正月九日寂とす
J20_0353A14: ○十四世玄周上人
J20_0353A15: 南興寂然と號す萬里小路内府時房卿の息冬房卿の舍
J20_0353A16: 弟なり應永三十四年生る十二歳にして等凞上人總系譜爲
J20_0353A17: 聖深資に從て剃染す文安三年の秋父時房卿建聖院を千
J20_0353B18: 本五辻に開き慧照國師を以て開祖とし上人をして之
J20_0353B19: に住せしむ幾ならずして應仁の兵亂あり諸堂回祿に
J20_0353B20: 罹りたるを以て形の如く草庵を結ひて住す淨華院も
J20_0353B21: 亦た燒失し等胖等珍等國等の上足も亦た東西に離散
J20_0353B22: せしかば上人轉じて松林院に住して此時松林院と淨華院とは別所にあり
J20_0353B23: ら淨華院の寺務を司り復興を謀る文明十五年十二月
J20_0353B24: 二日淨華院再建に着手し長享元年八月三日諸堂形の
J20_0353B25: 如く成就して本尊を奉安す長享二年女院嘉樂門院御
J20_0353B26: 不例の事あり四月八日召に應じて參内し善知識とな
J20_0353B27: りて往生の要路を勸進し奉る當夜百萬遍念佛を修行
J20_0353B28: せしめらる人數は親長卿冷泉亞相等僧俗女房併せて三十五人なり同十六日より毎夜百
J20_0353B29: 萬遍念佛御修行同廿七日酉尅御往生西方より紫雲光明等の好相現す
J20_0353B30: 年六月二十七日黑戸御所に於て阿彌陀經を奏説す長
J20_0353B31: 享二年七月六日淨華院の寺務を辭して松林院に閑居
J20_0353B32: し七月十四日安祥として寂す壽六十有二五七日の諱
J20_0353B33: 辰に方りて興慧大和尚の徽號を賜ふ
J20_0353B34: ○十五世等胖上人

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