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J3020 清浄華院誌要 清浄華院編 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0352A01: 良信僧海等の諸徒を隨へて黑戸御所に參内し如法に
J20_0352A02: 別行を修すること一七日臨終要决觀經の要文等を奏
J20_0352A03: 説し慇懃に咒願せられしかば結願の期に至りて御惱
J20_0352A04: 忽ち除き玉體安靜に復し給へり 後小松上皇叡聞ま
J20_0352A05: しまして御感のあまり同年十月二十五日上人を請し
J20_0352A06: て圓戒を受け及ひ往生の要道を叡聞し給へり室町殿
J20_0352A07: 義持將軍歎美して曰く等凞上人は當世無極の大德諸宗超
J20_0352A08: 過の先達なりと正長二年六月十一日香衣綸旨を賜ふ
J20_0352A09: 建聖院時房卿の手記參照永享二年の頃上人以爲へらく叡山西塔黑
J20_0352A10: 谷は宗祖上人以來歷代相傳の靈跡殊に先師敬法上人閑居
J20_0352A11: の住坊なりと雖も山徒の暴難を被りて再建する能は
J20_0352A12: ず如かず中山の柴庵を北溪に移し再建せんにはと京
J20_0352A13: 師の守護伊勢守定國朝臣室町殿將軍義敎に請うて聽許を
J20_0352A14: 得西は善勝寺南は寶幢寺東北は眞如堂に隣接して中
J20_0352A15: 山殿の邸宅を寺域に申し請て攝津國武庫郡大西の庄を中山殿に贈りて替地とす
J20_0352A16: 州の太守大内介政弘朝臣大檀那として堂舍を建立す
J20_0352A17: 又例として毎歳淨僧十二口知事二口奴隷三口を施人す上人歡
J20_0352B18: 喜斜ならず淨華院の法式を移して寺憲を立て法務は
J20_0352B19: 淨華院の兼管とす又定めて圓頓戒授與の道場とす是
J20_0352B20: れ新黑谷金戒光明寺なり叡山の元黑谷を移せし故に
J20_0352B21: 新黑谷と云ふ文安三年正月十一日上人時に齡五十歳
J20_0352B22: 主上勅して佛立慧照國師の嘉號を賜ふ民部卿定親の日記に曰く成
J20_0352B23: 恩寺太閤兼良殿下奏對して云く此宗には未だ蹤をきかず但し禪律の傍例に準せば何かあらんやと是れに依りて國師號を賜る云云寬
J20_0352B24: 正三年六月十一日總系譜八月十二日化縁薪盡き安祥として寂す
J20_0352B25: 壽六十六墳廟を池上の西光庵先塋の傍に立つ受業の
J20_0352B26: 弟子二百七十餘人皆宗門の龍象なり堂舍寺觀を立つ
J20_0352B27: ること七十八箇所述作には三部經直辨選擇集直辨菩
J20_0352B28: 薩戒經直辨五部九卷直辨等凡て二十三部あり上人持
J20_0352B29: 戒精嚴念佛勤修以て其身を保ち破笠弊衣竹杖草履隱
J20_0352B30: 逸にして其生を終る黑谷記には後花園院寬正三年八月十二日諡國師號に作る總系譜は之に依る(鎭
J20_0352B31: 流祖傳第四、新撰往生傳第三)
J20_0352B32: ○十一世僧尋上人
J20_0352B33: 良秀と號す初め當院に住し後ち黑谷金戒光明寺に移
J20_0352B34: る當代以下第廿一世に至るまでの年月明ならず當代

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