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J3010 百万遍知恩寺誌要 百万遍編 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0312A01: 是れ即ち當山の濫觴なり大師一代の行狀等は敕修
J20_0312A02: 御傳並諸記に讓る
J20_0312A03: 第二世源智上人勢觀房と號す曆仁元年十二月十二日
J20_0312A04: 功德院の廊にて示寂壽五十六上人幼にして開祖大
J20_0312A05: 師の門に入り常隨給侍年久しく大師の憐愍覆護他
J20_0312A06: に異にして宗戒兩脉並坊舍聖敎等悉く之を相承し
J20_0312A07: 大師入滅の後は庵を加茂の邊に結ひて閑居念佛し
J20_0312A08: 給へり故に世人上人を呼んで加茂の上人と云ひし
J20_0312A09: とぞその草庵は功德院又は神宮寺と呼び更に知恩
J20_0312A10: 寺と稱せりこれ開祖大師入滅の後上人影堂を此地
J20_0312A11: に築き大師を仰て開山第一世となし師德報謝を縡
J20_0312A12: とし給ふによる上人の行實敕修御傳等に詳なれば
J20_0312A13: 略す
J20_0312A14: 第三世蓮寂房諱は信惠高野太政大臣兼房公の孫大納
J20_0312A15: 言兼良卿の息にして慈鎭和尚の甥孫也源智上人に
J20_0312A16: 嗣法し當山第三世となる文永の比師範源智上人の
J20_0312A17: 道友鎭西聖光房附法の弟子然阿上人と東山赤築地
J20_0312B18: に於て兩流を校合し其師傳に符合するを見門弟を
J20_0312B19: して鎭西の相傳を以て我義となし更に別流を立て
J20_0312B20: ざらしむこれに依て源智上人の門流は皆鎭西の義
J20_0312B21: に依附して別流を立てず當院また其流に屬するに
J20_0312B22: 至れり弘安四年十一月廿九日信慧上人寂壽七十七
J20_0312B23: 第四世道意上人は蓮寂房に嗣法しまた記主禪師に宗
J20_0312B24: 要を禀く嘉元二年二月二日寂其餘の行狀詳ならず
J20_0312B25: 葢し當寺の靈寶記錄等多く應仁の兵燹に亡ふ是を
J20_0312B26: 以て世代の行業寺門の變革等尋ね難きもの多し
J20_0312B27: 第五世智心上人惠光房と號す正和二年三月八日寂傳云
J20_0312B28: 龜山帝の召に應じて戒を授け奉り慈空大僧正の號を賜はる
J20_0312B29: 第六世如空上人は大江齊光の孫家光の子なり始め南
J20_0312B30: 禪寺に遊び後道意上人に就て淨敎をうけ木幡慈心
J20_0312B31: 上人に顯密を學ひ記主禪師に事へて宗猷を極む上
J20_0312B32: 人德高く學内外に涉り識古今に通ず伏見後伏見後
J20_0312B33: 醍醐帝の敕召をうけ數數參内して内外の典籍を進
J20_0312B34: 講し奉る聖上嘉賞し佛元眞應智慧如一國師の號並

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