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J2860 瓜連常福寺志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0753A01: き旨 神祖の台命によりて御導師拈香下炬を勤上せ
J19_0753A02: らる御法號淨鑑院殿英譽善香崇巖大居士と號し奉り
J19_0753A03: 備前町にて御火葬なし御靈屋は瓜連に御造營なり
J19_0753A04: 把公結城弘經寺に在ては黄門秀康卿の長女を葬奉
J19_0753A05: られ今又此に來りて當君の導師に命せらるる其道
J19_0753A06: 德知行推して知るべし
J19_0753A07: 案るに結城より上人を請し大導師を命せられ翌辰
J19_0753A08: 年當山へ移住し玉ふならん系譜尖譽上人の璽書に
J19_0753A09: 檀譽法師及老後不慮移于此山智道兼備而興隆勝前
J19_0753A10: 代乃至慶長九甲辰年七月二十二日又同八月十四日
J19_0753A11: 上人より十四世大譽檀榮へ付屬の旨璽書に詳なり
J19_0753A12: 然れは上人の住職は兩三月の間なり是當山を御菩
J19_0753A13: 提所とし玉わん爲に暫く移住の命あるならん
J19_0753A14: 寬永十八巳九月二十日十七世直譽廓圓上人代水戸公
J19_0753A15: より御朱印百石の寺領へ御繩入打出し五十五石八斗
J19_0753A16: 五升五合なり此節繩打岡村太左衞門林平三郞堀十兵
J19_0753A17: 衞也依而當時は瓜連知行高十五町九畝二十步取米
J19_0753B18: 百五十五石八斗五舛五合也水帳今猶筐中に有り
J19_0753B19: 慶安二丑年第十八世眞譽相閑上人代瓜連の伽藍を再
J19_0753B20: 興經營せらるるのとき梁棟等の巨材はことことく水
J19_0753B21: 戸公より御寄附ありて落成す中興と稱す
J19_0753B22: 偶偶藏中を探りて古繪圖二枚を得たり其圖面佛殿
J19_0753B23: 方丈庫裡續に御殿御上段を始御湯殿付別に御物見
J19_0753B24: 二階座鋪門塀柵矢來二重三重に圍之老中始詰所賄
J19_0753B25: 所等之棟數數箇所惣門を大手衡門と稱して番所を
J19_0753B26: 構へ裏門に土手見附を構へて鐵砲頭詰所あり十八
J19_0753B27: 疋の馬繫を建大工中間長屋二棟番所拾餘所圖の側
J19_0753B28:
J19_0753B29: 屋鋪惣圍東西百二十五間南北百拾間
J19_0753B30: 慶安二丑年御繪圖之寫
J19_0753B31: 御奉行 諏訪勘兵衞殿佐久間宇右衞門殿
J19_0753B32: 案するに眞譽相閑上人代なり此の頃は府君威公毎
J19_0753B33: 度御逗留にて御饗應御物語等有之候ことゆゑ嚴重
J19_0753B34: 之御構莫大之御造作なり但し今を以て考ふるに建

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