ウィンドウを閉じる

J2820 三縁山志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0385A01: すして辭するもあり又志しありて内外の典籍を渉閲すれとも世財乏しくして在席の縁なく故郷に歸るあり遁世の身として檀林の高職は
J19_0385A02: 祖意に恐ありと辭するもあり 學解優長の者には魯鈍の爲に等しく甲
J19_0385A03: 斐なきを恨に似たりといへとも忍辱をたもち累德の
J19_0385A04: 所作にして實に無双の嚴規と謂へし又被位を立し
J19_0385A05: より名を改るをいましむ御條目にも此以下にも御條目と稱するは皆元和元年
J19_0385A06: に賜はりし三十五箇條なり其外には皆時代を出して御條目とは稱せす老若共に不可付替因名と
J19_0385A07: あり此被位の名を除去に數區あり台命を奉檀林又は
J19_0385A08: 紫衣地に住せるを出世消帳と名け寺院に住職するを
J19_0385A09: 寺持消帳と云又檀林の寺主出世の時隨身せるを隨身
J19_0385A10: と云檀林へ臨時にうつせるを追隨身と名つく近來檀林出世の時
J19_0385A11: 隨身の僧十五員に定れり追隨身も容易ならす其由緖によりては許可あり又病身にして學席つとむ
J19_0385A12: るに難きは病身消帳と稱し又會下或は他所にして死
J19_0385A13: 亡せるを往生消帳と云此外放逸無慚にして寮主の敎
J19_0385A14: 育にもれ世出世に非器たるをは寺社司に事をのべ着
J19_0385A15: 帳の上不見屆消帳と云此外にもあれとここに略すす
J19_0385A16: へて被位を立置學徒の名を消せざるを在席と名く
J19_0385A17: 當山の例に准據し餘の十七檀林もみなこれに同し御條目にもその旨あり法問不出三夏に及時は下
J19_0385B18: 沈し其上に至れは消帳せる事往年はままありしかと
J19_0385B19: 近年はそれに及ばす
J19_0385B20: ○掛錫
J19_0385B21: 牟尼世尊に四衆の弟子あり比丘比丘尼優婆塞信士優婆
J19_0385B22: 信女なり又智者大師發起影響當機結縁の四をたて各
J19_0385B23: 各に又比丘等の衆あるへきゆへ十六衆たり其中菩薩
J19_0385B24: 弟子に文殊普賢等あり聲聞に陳如舍利弗のたくひ無
J19_0385B25: 量億萬算數譬喩も其數をしりかたし末代にいたり剃
J19_0385B26: 髮受戒の者は八宗十宗分流支流のわかちありといへ
J19_0385B27: ともみな是佛弟子にあらさるはなし然りといへとも
J19_0385B28: 修學入門わかちありて歸旨趣向もことなるに至りて
J19_0385B29: は出家在家と相をかゆる時に君主是を臣とせす親兄
J19_0385B30: 是を子弟ととなへす漢に剃度の初をとふに永平十四
J19_0385B31: 年司空劉峻後宮の陰夫人等出家す曹魏の正元元年朱
J19_0385B32: 士行受戒せしより東普の淨撿南宋の戒壇あり我朝剃
J19_0385B33: 度の始起を考ふるに司馬達等か子多須奈德齊崇峻の
J19_0385B34: 朝に出家し女島尼敏達の朝に尼となる是より天平七

ウィンドウを閉じる