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J2760 略伝集 本会 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J18_0557A01: 明に唱へ泰然として遷寂す時に天保十年己亥七月十
J18_0557A02: 三日申の上刻なり春秋七十五法﨟五十二禀蓮社承譽
J18_0557A03: 上人託阿還源法洲和尚と號す得度の尼は魚鱗の瀦水
J18_0557A04: を失へるか如く受化の同行は嬰兒の乳汁に離るるか
J18_0557A05: 如し 師往生の前後奇瑞感見の輩頗る多し一一枚擧
J18_0557A06: に遑あらす十四日申の刻正しく遺骸を收棺し十五日
J18_0557A07: 來の下刻葬儀の法式行はる其葬送結綠の道俗凡二千
J18_0557A08: 五六百人萩其他諸所より來れる船數四十餘艘同日申
J18_0557A09: の刻に至り丸山の峯に荼毘す師生涯を通して破邪顯
J18_0557A10: 正弘法利生を以て其任とす時に智辨の鋭鋒邪網を摑
J18_0557A11: 裂して本願隨自意の蘊奧を發揮し江戸京洛防長の間
J18_0557A12: 遊化數十年其德風に靡き益を蒙むる者其數を知らす
J18_0557A13: 嗚呼師は是れ無碍光如來の垂迹なりと云ふ仰て信す
J18_0557A14: へし
J18_0557A15: 袋眞上人傳
J18_0557A16: 上人名は袋眞聽蓮社貫譽傳阿聞慶と號す尾州藩士城
J18_0557A17: 牧右衞門の長子寬政六年十一月五日名古屋の藩邸に
J18_0557B18: 生る通稱慶之助平復又茂水と號せり家世世藩の槍術
J18_0557B19: 指南役たり幼より武を習ひ文を修め槍術に於て藩の
J18_0557B20: 科程を卒る神童の名四隣に聞ゆ歳十九故あり家督を
J18_0557B21: 次弟に讓り自から進て菩提寺なる相應寺皆譽聞隆上
J18_0557B22: 人に投して出家し名を聞慶と改む時に文化九年正月
J18_0557B23: 十九日なり同十二年十月師籍を辭して縁山南中谷蔡
J18_0557B24: 華樓に留錫し宗學の研鑽に努め同十四年十一月敎譽
J18_0557B25: 大僧正に就て宗戒兩脉を禀承す是より前袋譽典常上
J18_0557B26: 人の弟子となり名を袋眞と改む文政二年京師に遊び
J18_0557B27: 祖廟に詣てて冥福を祈り學友を訪ひ明師を尋ね遂に
J18_0557B28: 洛西峨嵯立道上人の門に入り具に辛酸を甞め螢雪の
J18_0557B29: 功を積むこと三年大に得る所あり同六年三月より南都
J18_0557B30: 北嶺の知識を訪ひ或は五山十刹の禪門を叩き或は野
J18_0557B31: 山東寺に密行を試む同九年師命により縁山に歸錫し
J18_0557B32: 次て蔡華樓を相續し學寮主となり大衆の請によりて
J18_0557B33: 大に宗餘乘の講筵を敷く同十年三月華頂門主の侍講
J18_0557B34: となる信任頗る厚し同十二年十二月嚴師大光院主袋

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